元廃人が語る、ソシャゲをやめてよかったこと6選【疲れたらやめるべき】

「三度の飯よりソシャゲ」だった元廃人として、止めるまでの経緯と当時の悲惨さを猛省の意を込めて振り返ってみる。

どれぐらいソシャゲ沼にはまっていたのか

どれだけソシャゲにどっぷりと浸かっていたのか、象徴するエピソード全てとなるとキリが無いので代表的なもののみ挙げてみる。

  • 6年間ずっと頭の中は常にソシャゲのことだけ
  • 1日10時間以上プレイするのは当たり前
  • 長期休みなんかは1日中スマホと睨めっこ
  • ソシャゲでの強さややり込み度が現実でのステータスであると思い込んでいた
  • ソシャゲ以外で楽しいと思えることが無い
  • 総課金額は20万円以上。罪悪感も無かった
  • 将来就くのはソシャゲに関する仕事一択と考えていた

6年間ずっと頭の中は常にソシャゲのことだけ

ソシャゲとの出会いから別れまではこんな感じ。

  1. 中学卒業時にとあるゲームタイトルと出会う
  2. 高校3年間ソシャゲ中心の生活をおくり、当然学業は疎かになる
  3. 大学2年まで相変わらずソシャゲにのめり込んでいたが、別の趣味を見つけたことにより足を洗う

やはり中学を卒業したと同時にスマホを入手し(てしまっ)たのが1番の要因かもしれない。この時代はいわゆるソシャゲ黎明期で、周りもこぞってソシャゲを始めていたのでその波に乗ったのがきっかけだ。

案の定、高校3年間もソシャゲが中心の生活。受験期は流石にある程度セーブできていた(と思う)。しかし常にそのゲームタイトルのことで頭いっぱいで、「志望校に受かりたい」というより「早く大学受験を終えて思い切りソシャゲをやりたい」という欲の方が強かった。

結局廃人のような生活は大学2年生の前期まで続き、合計で約5,6年間ほどはそのゲームタイトルを追いかけていたことになる。

ソシャゲのやり込み度が現実でのステータスであると思い込んでいた

手前味噌ではあるが自分自身そのゲームタイトルに関してはかなりやり込んでおり、一般ユーザーから見れば崇められるもしくは畏怖されるほどの実績があった。

同じゲームをプレイしているリアルでの友人は数人いたが、正直レベル・熱量に関しては彼らとはもはや次元が違うレベルで、 話の合う友人はネット上にしかいないような状態。 今でこそ笑い話だが、当時はリアルでの生活に辟易していた。

「それ石何個分?」、 これは金額をいつもそのゲーム内で消費するアイテムの数に換算していて考えていた当時の自分の口癖である。

罪悪感無しに20万円以上課金

(累計とはいえ)20万円となると学生にとって相当な額なはずだが、それを全て基本的にソシャゲに注ぎ込んでいた。

言い方はアレだが、当時の自分は確実に金銭感覚が狂っていた。もっといい使い道あったはず⋯(猛省)

将来はそのソシャゲタイトルに関する仕事に就こうとしていた

開発する側というより、どちらかというとそれを遊ぶユーザー側としての仕事。今でこそ多くある大手ゲーム攻略サイトを運営する会社の、ライターや攻略班などがイメージしやすいかもしれない。

今となっては計画性皆無のキャリアビジョンでしかないが、当時は本気でこの類の職就くことを志していた。「そのために、今は目いっぱいゲームをやるだけだ!」と意気込んでいた日々が懐かしい。

自分が人より優れていると胸を張って言えることがそのゲームの知識や技量ぐらいしかなく、消去法的にそういった考えに至ったのかもしれない。

そういった職業もれっきとした仕事で批判する気は毛頭ないが、貴重な新卒カードを切ってその道に進んでいたら絶対後悔していたと思う。

ソシャゲ含め全てのゲームをやめた理由

運営に踊らされてる感が凄い

当時ソシャゲに没頭していた自分は運営が発表する情報に一喜一憂し、運営が用意したコンテンツに時間を割く。いわゆる「搾取される側」の人間だった。

しかしインターンなどの機会を通して企業の事業の内部を垣間見る機会があり、そこで気付いたのが「ソシャゲも1つのビジネス」ということ。

そこから「〇〇すればユーザーは金をつぎ込むだろ」という企業の策略にまんまと引っ掛かってるだけのような気がして、ソシャゲをやること自体が非常に馬鹿馬鹿しくなっていった。「何で自分はこんな小さい画面の表層に触れることに夢中になっているのか」と。

当時の自分はまだ学生だったので軽傷で済んだが、ソシャゲに没頭したまま社会人になっていたら⋯と思うと今でもゾッとする。

ゲームは決まった動きしかしない

これは自分がエンジニアゆえに感じてしまうことなのかもしれないが、ゲームはあくまでただのソースコードの集合体でしかない。

プログラムは嘘を付かないし、1を出力するコードを書いたら1を出力するのみ。とどのつまりゲームには「偶有性」が無く、あらかじめ決まった動きしかしない。

しかしそうではなく、もっと「偶有性」があって自分のスキルになっていくものに時間を割きたいなと思った。

サービス終了すれば何も残らない

よくソシャゲに付きまとうワードである「サービス終了」。

ソシャゲ業界のトレンドは日進月歩で、いくら根強いファンがいるタイトルでも売れ行きが好調でなければ存続は難しいと言われている。

つまりソシャゲは、積み重なったものがいつ崩れるか分からない、まるでジェンガのようなものだと思う。

ゆえにそう遠くない未来にいずれ消えゆくものより、自分が成仏するまで確実に残り続けるものに投資した方が賢明だと思ったのもソシャゲを止めるに至った理由の1つだ。

ゴールが無い

据え置きのものや買い切り型のゲームの大半には「ゴール」があり、やり込み要素にも限界はある。今でこそDLCなどあるが、それも長くて発売から2・3年ぐらいが関の山。

だが課金型のソシャゲには基本的に「ゴール」というものは存在しない。

それがソシャゲの楽しさでもあるのだが、新しいコンテンツやイベント、ガチャが定期的に追加され、最前線にいるためには日々そのゲームと向き合う必要がある。

そして何より恐ろしいのがSNS。SNSにはそのゲームタイトルの界隈が存在し、当然そこには歴戦の猛者がゾロゾロといる。単に彼らを傍観するだけならまだいいが、ある程度ソシャゲにのめり込んでしまうとそこで彼らに触発されて「自分も頑張らなきゃ」ってなってしまう。頑張るとは?

更に昨今だと他のユーザーと交流・協力ができるソシャゲが増え、他のユーザーと自分との差が可視化されるようになっている。その結果競争心を煽られてしまい、よりそのソシャゲに時間を費やしてしまい歯止めが効かなくなってしまう。キリが無い。

ソシャゲをやめてよかったこと6選

スマホに依存しなくなった

ソシャゲをやめてからスマホを触る頻度がグッと下がった。「スマホを必要としなくなった」という言い方の方が正しいかもしれない。

当時は1日6時間以上画面を見ていることがザラだったが、今では1日30分未満。唯一開くのはPC上で動かせないネイティブアプリを使いたい場合ぐらい。

現代の社会において「人はスマホに操られている」なんて揶揄されるが、そこから少しでも抜け出せたのは自分にとって大きな一歩だった。

日常で色んな楽しみを見出せるようになった

当時の自分は「ゲームかそれ以外か」という分別の仕方をしており、ソシャゲ以外のものに興味・関心が一切無く、何をしても楽しいと思えない非常に無機質な日々を送っていた。

しかしソシャゲから足を洗ってからは一転。「急に見える世界が変わり、薔薇色になった」とまではいかないが、普段の何気ないことに楽しみが見出せるようになった。

例えば学業。それまではひたすら苦痛でしかなかったが、足を洗ってからは「何かを学ぶのも案外悪いものじゃない」と思えるように。

まさにソシャゲによる視野狭窄。随分狭い世界で自分は生きていたのだなと痛感した。

就活で成功した

実際自分の就活界隈でのスペックは相対的に見るとかなり低め。しかし就活はかなりうまくいった方と自負しており、無事第一希望の企業からも3年のうちに内定を獲得できた。

ソシャゲをやめたこととその就活での成功に何の関係があるのか。答えは単純で、「時間が増えたおかげで評価されるものを作り上げることができた」というだけ。

ゲームをやめて何かしらの能力が飛躍的に向上したわけではないが、今までソシャゲに費やしていた時間をより有意義なことに使えるようになり、それが面接でのエピソード・成果物として猛威を振るった。

もしソシャゲをやめていなかったら、面接でゲームのエピソードを意気揚々と話していたかもしれない。

残念ながらゲームをはじめそういった「娯楽」のエピソードを面接で話すのはあまり褒められたものではない、というのが現代就活の風潮らしい。

もし過去の自分のようにガクチカの第一候補としてソシャゲが真っ先に挙がるような方は(中々いないとは思うが)、就活で苦労する確率が高いので要注意かもしれない。

ソシャゲは時間・人生の無駄なのか?

ここまでソシャゲに対してボロカスに言及してきたが、ソシャゲ自体が「時間の無駄」「人生の無駄」とは思っていない。

その理由として、当時は本気でソシャゲが楽しかったからというのもあるが、何よりエンジニアになるきっかけを作ってくれたからである。

もしソシャゲに触れていなければ、将来エンジニアになるという発想にすら至っていなかったかもしれない。そういう意味で、ソシャゲは自分の本当にやりたいことを見つけてくれた恩人と言える。(散々時間は奪われたが)

まとめ:ソシャゲは疲れたらやめるべき

ソシャゲをやること自体はもちろん当人の自由。

とはいえ自分が伝えたいのは、そのソシャゲ以上にあなたがもっと熱中できることがあって、その「小さな画面の表層」に触れている時間を活かしてもっと有意義なことができるかもしれないよ、ということ。

それからソシャゲを「やりたい」が「やるべき」に変わった時は要注意。その場合はもはや依存の域に入っているので、取り返しがつかなくなる前に自分に警鐘を鳴らそう。